06月 date

TRPGでは失敗に対する罰は必要ないと思います。

TRPGでたまにプレイヤーが愚かな選択をしてセッションが失敗する事がありますが、その愚かな選択は責められるべきかもしれませんがその事自体がセッション失敗によって罰されているのでそれ以上の罰は必要ないと思います。 基本的には失敗に対する罰は失敗そのものなのでプレイヤーを罰する事を意識するよりもどうリカバリーするかを考えていったほうが建設的でないかと思います、というお話でした。

周りを見ながらプレイできるといいですよね。

TRPGでプレイヤーをする場合は周囲のプレイヤーにも配慮が必要で、かっ飛ばす行動は平等に行えないといけないのです。 ずっと俺のターン!というのが良くないので、自分のターンをやったら人に譲るようにしようね、というお話なんですが、夢中になっていると忘れるので注意が必要ですね。

毎回不意打ちではプレイヤーが萎縮するので

TRPGにおける驚きは「不意打ち」によるものばかりだと結局プレイヤーが萎縮するので良いセッションにつながらないんですが、伏線の回収の仕方を斜め上にする事で知っていたのに驚くという動線が作れるのでそうできるといいですね、というお話でした。 TRPGにおいて萎縮って最悪に近いバッドステータスなのでできれば回避したいものなので、ちょっと気にかけておくといいですね。

自分でやるしかないのです。

TRPGのシステムを流行らせるにはとにかくプレイ人口を増やすしかなく、プレイ人口は接触感染なので、あなたが好きなシステムを流行らせたければあなたが接触して感染を広げるしかないのです。 待っていてもそのシステムが覇権を取るとは限らないので(そうでない可能性のほうが高いので)、あなたが広めたいと思うのであればあなたがやるしかないのです、というお話でした。

王様も奴隷も必要ないんですよね。

TRPGにおいてはスポットの奪い合い、リソースの奪い合いになる可能性が常にあるんですが、セッションにおいて全権を握る王様は不要ですし、滅私奉公だけを目的にする奴隷も必要ないのです。 王様が不要なのは言うまでもなく、奴隷も主体のない存在になるのでセッションには不要で、ちゃんとした責任と意思決定権を持ったプレイヤーが集まってするのがTRPGなので、限られたリソースをみんなで上手く回すのが大事だと思います。というお話でした。

何をするのかより何のためにするのかのほうが重要かもしれませんよね。

TRPGにおける行動宣言って要するに「何をするのか」を宣言する事なんですが、重要なのはむしろ「何をするのか」より「何のためにするのか」のほうかも知れません。 プレイヤーサイド、ゲームマスターサイドともに「何をしたくて」行動宣言をしているかを知る事で互いにサポートしやすいですし結果誘導もしやすいので行動の意図を上手く伝え、相手の行動の意図を上手く掴むことが大事なんじゃないかと思います、というお話でした。

「こんな人とは遊べない」って言うのは断絶なので

TRPGにおいていろいろな人がいますが、「こういう人とは遊べないな」と言うのは言ってしまうと断絶になるので、「こういう人は苦手だな」と思っても口に出さない方がいいです。 TRPGはコミュニケーションの遊びなので断絶は最も避けなければならない問題なので、自分から断絶を生む必要はありません。 ふわっと回避してなるべく近づかない程度の距離のとり方が良いと思うので、口に出さずにそれとなく避けていくのがいいのではないでしょうか、というお話でした。

ジェイルブレイクできるといいですよね。

長男がCoC沼から一歩踏み出してソードワールド2.5に挑戦しているのです。 ここ2年ジェイルインしていたのを自分でジェイルブレイクして他の世界に足を踏み込んだわけで、非常に大きな一歩だと思います。 CoCが駄目という話ではなく、同じジャンルの他フレーバーに興味を持つと世界は永遠に広がるので素晴らしいですよね、というお話で、とてもめでたい事だと思います。 いつか野良宅でご一緒したいですね、長男さん。

愛していると言っていいのです。

TRPGに対する思いは人と比べるものではなく自分の中で他のものと比べるのに使うので、どんな環境にあってどんなプレイ頻度でどんなプレイをしていようとも、自分がTRPGを愛していると思うのであれば愛していると言っていいのです。 愛を人と比べるのは無理筋なので無理にする必要はなく、自分が愛していると思えば愛しているのでそれで良いと思います、というお話でした。